norikura’s diary

ocn さんの blog Cafe から越して来ました。どうぞよろしく!

御言葉とキリストにならってから(’08.11.8(1))

1 福音より。「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた」「わたしの父の家を商売の家としてはならない」「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」「三日で建て直してみせる」。教会。「天の都エルサレムの、目に見えるしるし」「キリストの花嫁である教会」「聖なる神殿とはわたしたちのこと」「水が聖所から流れ出るからである」「この川が流れる所ではすべてのものが生き返る」
2 「キリストにならって」(ケンピス、サンパウロ刊、荻原訳)より。「見よ、私は、おまえのために私のすべてを御父に献げた。私の体をも、血をも、すべておまえに食物として与えた。それは、私が全くおまえのものとなり、おまえもまた、いつまでも私のものとなるためであった」
3 わたくしたちが、神のために献げることを要求されているのは、単に献げ物ではない。わたくしたち自身。その前に、日常の中で、主イエス・キリストより前に出ていないだろうか?「悪魔よ、わたしから離れ去れ」パウロに言った言葉。受難を告げられ、「主よそんなことがあってはなりません」に対して。「食い尽くす」この意味が実感出来ないでいる。キリストを指している。が、語感に尋常でないものを感じる。神を食い尽くすなんて…。同じ距離で、「私のすべてを御父に献げた」後者が実感出来た時、前者も分るのだろうか。それまで、これらの御言葉を心に留め、思い巡らそう。