norikura’s diary

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第5主日カトリック駒ヶ根教会ミサより-a liturgy

B年.年間第5主日
表紙
「イエスがそばに行き、手を取って起こされると・・・」
入祭唱
「身を低くして伏し拝もう、わたしたちを造られた神の前に、神はわたしたちの神」
第一朗読(ヨブ記
「わたしはいらだって夜明けを待つ」
答唱詩編(詩篇147)
「栄光は世界に及び、すべてを越えて神は偉大」
第二朗読(使途パウロのコリントの教会への手紙)
「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸である」
アレルヤ唱(マタイ8・17)
「主はわたしたちの病を身に負い、わたしたちの苦しみを担ってくださる」
福音説教(マルコによる、1・29-39)
「イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやした」
「わたくし(武田神父様)は、30年程前にイスラエルへ行った。巡礼のため。ヘロデ王のカファルナウムにも行った。跡が残っていた。1950年(?)にフランシスコ会修道院の中より、それが発見された。200年位前の出来事。回廊を壊した上にペテロの家が建った。イエスは回廊を出て、シモン・アンデレの町へ行った。ヨハネ含めて4人が行った。ペテロの姑。ペテロの奥さんが亡くなった。シモンの姑。熱で寝ていた。イエスが手をとった。そして、起こした。すると、治った。体の病、心の病。そういった人たちに対し、イエスは手をとって起こしてくれる。手を差し伸べてくれる、手を貸してくれる、それが大事。イエスは人々に手を貸してくださる。そのために来た。そして、癒された姑は、人々をもてなした。感謝の心で。心から仕える。それが大切。夕方になったら沢山の病人や悪霊に憑かれた人がやって来た。町中の人たちだった。でも、何故夕方だったのか?夕方から安息日が、日が替わって次の日となる。陽が沈まないと、安息日が終わらない。だから人々は、夕方に連れて来た。手を置いて癒された。悪霊に憑かれた人は本当に惨めな生活だった。第1朗読のヨブ記。大変な生活。神から見放された人々と見なされていた。罰として惨めな生活をしていると捉えられていた。大変惨めな生活。人々は、イエスに怒涛の如くやって来た。本当に大変な出来事。第1。病の時。わたしたちの生活は、ある意味、ヨブのよう。お金が有って、食べれて、豊か。使用人も沢山使っている。信仰もある。その時、悪魔が来て、神に言う。ヨブを神を冒涜する人間にしてみせよう。そして、許しを得た。財産を無くし、病気も酷い、家族も不幸な目に。大変な生活。でも、神を怨んだり罵ったりしなかった。神に常に信頼していた。そして、晩年に生活を取り戻した。福音。イエスは全部の人たち・沢山の人たちを癒された。悪霊に対して、物を言うことを許さなかった。悪魔はイエスが誰であるかを知っている。でも、集まった人たちは、本当にイエスが誰か、を解っていない。本当のメシアであることを解かっていない。悪霊は解かっていた。イエスは本当の姿を知って貰いたくなかった。それは、説教を始めたばかりだったし、革命の指導者にされることを危惧したから。ローマを倒し、イスラエルが世界を征服するための大将とされることを嫌ったから。だから、自分の身分を隠した。民衆は、解かっていたかった。ガリラア全体で、イエスは悪霊を追い出された。福音を証する者、福音の中でイエスが言う事・奇跡を全部証してはいない。次の箇所で、「イエスは静かなところに行って祈っておられた。」安息日の1日は忙しい。いろいろなことをイエスはしてくださった。静かな祈り。父との関係は深いもの。弟子が、「皆が探しています。」に「わたしはまだ行かねばならないところがある」。そして、全世界に福音を伝える使命を与える。それを弟子に託す。それが第2朗読。ペテロはどのような精神で、福音を宣べ伝えたか?「わたしの誇りではなく、そうしないではいられないからです。」イエスを強く宣べ伝える。ペテロははじめイエスを迫害していた。それから回心した。キリストから与えられた使命を果たす。福音を宣べ伝える。その情熱は素晴らしいもの。わたしたちキリスト者は、宣教を通してイエスを宣べ伝える使命を預っている。わたしたち自身の生活を通して福音を証する。それが大切。イエスは、わたしたちの弱さを助けてくれる。手を差し伸べてくれる。良い訪れ、良い福音を多くの人々に伝えていけるよう祈りたいと思います。」
(2/8カトリック駒ヶ根教会のミサ、武田神父の説教から(わたくしのメモ書きから起こしました。文責はわたくし乗倉にあります))
共同祈願
「神よ、あなたの救いをすべてのひとに」
拝領唱
「悲しむ人は幸い。その人は慰められる。義に飢え渇く人は幸い。その人は満たされる」
notes
1 駒ヶ根教会の信徒総会をこの後座敷の部屋で。