norikura’s diary

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「インクイアリー(審問)」なる映画を見て-感想

 「インクイアリー」(審問)という映画を見る。レンタルで、しかも、日にちが迫っている中で、髭を剃りながら、などで見たので、大分誤解やらあ 
 ると思いますが。
 話は、イエスの十字架が冤罪であったのかどうかの検証?それを任務のローマからの遣いの話。
 結末。最後は殺されてしまう。ピラトの命に。手下に。それは、状況を曖昧に留め置くために?疑問だ。だが、遣いは、少なくとも否定の報告を
 用意して都に帰ろうとしていた。
 だが。何故?
 ピラトのドラマが真ん中で語られる。 ピラトの妻と、遣いの不倫すら示唆する場面が冒頭にある。
 そんな卑近なものでないことは、マグダラのマリアの住地をすべて焼痍せよ、の直前のピラト。ローマの力と新しい信仰の拮抗についての語り
 の数々でも分る。
 では、政治か?
 そもそも映画は、トリックに満ちている。視聴した者は、嵌ってしまう。わたくしの断片視聴の弊害だったか?
 イエスの遺骸。兵士の証言。弟子。浜辺。マグダラ・マリア。聖母。そして、十字架試験すら。
 だが、局所に見ても、今イエスが現れるか、今現れるか?作中常に、期待を引っ張る。
 最後の荒野。あそこに引っ張ったかとも、誤解する。最後に再臨したキリストが現れる。スペクタクルに相応しい。
 更には、使者自身がキリストか?の場面も。というのは伏線が数々。使者が、主の言葉を正確に語る。語り続ける。
 クライマックスにも、主の再臨か?
 ライ病の人たちに追われて、使者が、「よろしい、あなたの娘は癒された。あなたの信仰があなたを救った。」
 そうまで言う。困惑から切羽詰って宣言する。やはり、主がここだったんだ!再臨だ。復活だ。
 快やを叫んだ瞬間。とてつもない喜劇が仕組まれていたことに一杯食わされる。
 「何を言わせるんだ。」「わたしは、メシアでないぞ。」
 幼児洗礼で、キリスト教に長ければ、作中、抱腹絶倒に終始するだろうな?のエンターテイメント性が魅力と分る。
 だが、待てよ。
 正直、映画の正体が分らなかった。分る信仰がなかった。分る映像文法の素地が無い。
 だから、手持ちの乏しい映画文法書で、くだんの映画を索引で探した。が、無い。まったく手引きが無い。
 でも、取り上げてしかるべき傑作と思う。
 信仰が不思議に深まった。
 「パッション」はじめ、キリスト教テーマの映画がここを継承しているな。が多々ある。
 何といっても、聖書の、4福音書から、アクトまでの話。黙示録まですら包含する。
 聖書のアクトを読め!主任神父様から言われた教え。聖書紐解く者の基本だろうと思う。
 とにかく信仰が深まった。
 次は、最初の殉教者ステファノを!