norikura’s diary

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D.D.Diary(10/13)

D.D.Diary(10/13)(Dは出来合いの×2)

 久し振りなので。簡単に。
 料理の究極の簡略法。レトルトに、刻んだ野菜2・3種加え、調味料を近いものにし、炒める。10分と掛からず出来る。予算は約150円。漫画で、カップ・ヌードルにポテト・チップスを加えて、が最簡略。マヨネーズを盛るもある。
 宇野重吉監督、劇団民芸の映画「あやに愛しき」を見る。前半眠ってしまい、後半しか見てない。悲しい。「悲哀が最も美しい感情である」はO・ワイルドだが、それを思う。終りのクライマックス、転院のシーン。「目が見えないので…」が悲しい。主人公が看病に帰院し、雨中佇むシーン。妻が迎える、も悲しい。帰宅に似るから。話は、自分の思うにしか書けない作家が主人公。妻が精神を病む。作家は妻との生活を発表し続ける。それは、病状を世間に都度曝すことになる。「狂妻家」と言われ、義理の父に罵倒される。しかし、信念を貫く。だが、「あなた能力がないのよ。」妻の言葉。「君が疑わない真実、それをどう他人は納得するんだ。」同人も。凡庸だったのだ。妻の、薄皮を一枚一枚剥がされるような切迫。それは凡庸ではない。
 「かほど理不尽な情熱を神は敢えてこの作家に付与し、そが精神を穿つように妻に累が及ぶ。それは平凡な一幅の風景であり、こうして、人々の日常は成り立つ。しかるに、わたしは、立つところを知らず、暗渠して、深く割れたクレパスに平然と佇む。」
 ボードレールを気取って、そこから“銅鑼いぶ”した積もり。でも、作中ラストにある桜も無いし、雲雀の番も無い。人生一番の悲惨は、感受の只ならぬ侵食かも知れない。ただ、それはワイルドの謂う悲哀ではない。貧窮。
 表現。古い年代なので白黒。映像は、小津?と思わせる程稟として美しい。そして、演技、セリフ。宇野重吉の演技は最上だったのではと聞いている。今回、初監督。信欣三・田中絹代主演。滝沢修山田五十鈴らそうそうたる名優が出ている。俳優を目指す人は必見と思う。レッスンの前日、何を見て演技を研鑚してきたか?を問う演出家がいる。真っ先に挙る作品と思う。シナリオは、新藤兼人さん。「記録しますか?」と自問して、書き抜きを用意する、それ程凄い。シナリオ学ぶ人も必見。
 NHKの「三銃士」を見る。TVの人形劇ドラマは約40年振り。真剣に人形を遣うことを考えた時期があった。真似事をした。だから、遣いの優劣は分かる積もりだ。上手い。表現が洗練され豊かになった。脚本もいい。出来る限り観たいと思った。演技に必須。
 続いて、地方局が阿島から中継と。25分頃まで。それから駆け付けた。チャリで20分はキツかった。がもう誰も居ないし、何処か探れなかった。JAさん、大藤、豊丘橋を見て帰って来た。中川まで行かなかった。ただ、チャリでドライブ。が、夜の遠出は控えたい、と思った。
 最近野球に嵌る。「落合みたいにライン・ドライブでスタンドへ」を思い描いて振る。