norikura’s diary

ocn さんの blog Cafe から越して来ました。どうぞよろしく!

日記(11/13)

日記(11/13)

 J・ジョイスに「ダブリンの人々」なる短編集がある。

飯田のタウン情報誌の最近2号がプレミアだ。
もし何だったら、手にして頂きたい。

甚く投書が希望でした・・・
そして、地元の人しか理解出来ないプチギャグの数々が・・・
コーナー「絶パラ」の「ここだけのヒミツ」に提出しようか、という親爺ギャグの候補。
「TJ誌の表紙に生きているミーハーなわたしは、「佐々木貴金属店」の看板を剥がし掛かり、「貴」に来て重大な過ちに気付き、そそくさと元通りに戻した。ヤレヤレ!」(個人名を出していいものなのでしょうか?何かをバイオレートしてるでしょうか?)

首都圏など発行の情報誌「ピア」が創刊された頃、同時にこういった投書されたプチギャグを掲載するフリー・ペーパーがあった。
ほらほら、「エビ反る」「ビックラゲーション」が流行語になった例のあの・・・
飯田のタウン情報誌からも、年末に大賞を狙える流行語が生まれることを日々願って・・・
「そんなのいいら。」って地元の人は言うかもしれませんが・・・。

取り敢えず「絶パラ」=「絶叫パラダイス」を強力に推そうと思います。
叫びたいほどのことがあったら、「絶パラ~」って絶叫してください。以外と気持ちいいですよ。
「絶好調!」以上のインパクトがあります、きっと。

ところで、「ローカルなことを細かく淡々と描写することにより生まれる普遍性」って大事そうです。ジョイスや私小説群を浮かべるまでもなく。
「小津映画の追随を許さぬ偉大な普遍性」の一端も、総じればそこにあると思います。

この言葉は、実は、10年程前、読売新聞さんの文化欄に掲載された、今は亡き、萩元晴彦氏が、確かイスラム圏の映画にコメントして言ってたと思います。
ちなみに、萩元プロデューサーは、飯田市ご出身です。
今月末に飯田文化会館で氏の名を冠した何回目かのコンサートが開かれます。よかったら、聞きに来てくだされば、と思います。

「ダブリンの人々」は、確か、褪せた色の濃い地方都市に暮らす「無気力で」「境遇をどうすることも出来ぬ」人々を哀感込めて歌い上げた名作です。ドストエフスキーに比しながら読んでいっていいと思います。
高貴なる稀有な永遠の才能、二つ。

アインシュタインは、「死とは、モーツアルトが聞けなくなること、ドストエフスキーが読めなくなること(?)」と言ってた気がします。「ジョイスが読めなくなること、ストラビンスキーが聞けなくなること、ブレッソンが見れなくなること」でもあります。