norikura’s diary

ocn さんの blog Cafe から越して来ました。どうぞよろしく!

ミサ説教から

再度、地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
ご家族の皆様、関係者の皆様に心より哀悼の意を表します。
。。。
四旬節第1主日(A年)カトリック伊那駒ヶ根教会
伊藤神父様のミサ説教から。
四旬節、40日間の断食を終えて、イエス様は悪魔から
3つの誘惑を受けられた。
丁度、3日前に東北地方で凄まじい災害が起こった。
悲惨な光景。
今日の福音とダブって見えた。
悪魔は、イエス様を高い山に連れて行き、町を見せた。
この世の繁栄を見せた。
東北地方も同じ様に繁栄していた。
その繁栄が一瞬にして無くなった。無になった。
土台から消え去った。
凄まじいこと。
日本は確かに地震が多く、津波も多い。
しかし、あの光景を見ると、人間の弱さ・小ささが分かる。
科学が発達しても、あれだけ多くの人達が亡くなるのを
防ぐことが出来ない。
原子力発電も爆発寸前。
食べ物に事欠き、飲み水もない。
水に対する恐怖は、トラウマとなって残る。
神は本当にいるのか?神は本当に私たちを愛しているのか?
神がいて、何故あんなことが起こるのか?
奇跡はないのか?
神は本当はいないのでは?
愛しているとは言えないのでは?
全部流されてしまった。
亡くなった方々も凄い恐怖の中で、多分亡くなっていった。
今日の福音も2000年前の話ではない。
悪魔が試みてくる。
何故、あんな大きな災害を神は黙認されるのか?
どうして酷いことが許されるのか?
どうして大勢の人が犠牲になることが許されるのか?
災害からいろいろなことを感じさせられる。
信仰が試されてもいる。
あなたは塵であり、塵に帰っていく。
わたしたちは塵であり、塵に過ぎないのだ、
と、神の前に謙虚にならなければならない。
一体どうして、こういう苦しみがあるのか?
わたしたちは、まったく弱い塵に過ぎない。
そういうことを思う。
被災し亡くなられた方々が神のもとで安らぐように、
親や兄弟の方々・友人に神の愛・恵みが与えられるように。
水に対し、恐怖を植えつけられた人々に、
神の癒しが与えられるように、
彼らのために、皆で祈りたい。
また、わたしたちは、出来る限りのことをしないといけない。」
。。。
「カルメル山登攀」
(十字架の聖ヨハネ著;奥村一郎氏訳;ドン・ボスコ社)
より。
今読んでいるところから。
p.233 第2部第24章 ~p.241 第2部第25章
のうち、p.237
「あの聖マテオの福音の中で、悪魔がキリストに「この世の国々と
その栄華とを示した」(4・8)ということであるが、これについてある
学者は、心理的暗示によったと説明している。なぜなら、肉眼を
もって、この世のすべての国々とその栄華とを見せるなどということ
は不可能だからである。」
「外から、または中からうけとり得るすべてのことに対して自分の目
を閉じ、全く無になるように望めば望むほど信仰が深まり、それに従
って、信仰とひとつのものとして成長する愛徳も、より多く注ぎこまれる
ことになる。」
。。。
「キリストにならって」
(萩原晃氏訳;サンパウロ
より。p.39
「11 何かよいことが自分にあったとしても、他人にはもっとよいことが
あると思って謙遜の念を保て。」
。。。
“True Devotion to Mary”
(St.L. de Montfort)より。
-Third Motives-
It obtains for us the good offices of the blessed virgin
1. Mary gives herself to her slave of love
144 The most holy Virgin,who is a Mother of sweetness
and mercy,and who never lets herself be outdone in love
and liberality,seeing that we give ourselves entirely to her,
to honor and to serve her,and for that end strip ourselves
of all that is dearest to us,in oreder to adorn her,meets
us in the same spirit.She also gives her whole self,and
gives it in an unspeakable manner,to him who gives all to
her.
。。。