norikura’s diary

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バッハ。ヴァイオリン曲2枚

 

1 バッハ。ヴァイオリン曲2枚。ともにFIC。

2 「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1~3番」は、グリュミオー(ヴァイオリン)。

3 「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1~3番」は、同じくグリュミオー

4 解説がないので略。2枚とも名盤是非買って愉しんでいただけると嬉しく思います。

5  “The waters of the river have a saffron and sickly hue;and they flow not onward to the sea,but palpitate forever and forever beneath the red eye of the sun with a tumultuos and convulsive motion.For many miles on either side of the river‘s oozy bed is a pale desert of gigantic water-lilies.They sigh one unto the other in that solitude,and strech toward the heavens their long and ghastly necks,and nod to and fro their everlasting heads.And there is an indistinct murmur which cometh out from among them like the rushing of subterrene water.And they sigh one unto the other.”(From “Silence-A Fable”(E.A.Poe;Vintage Books.p.457))、ほぼ冒頭部分である。

Gedc1905

6 この作品に関しM.ボナパルト女史は、“なにか重大な不幸をつげる不吉な風に悩まされた風景”“巨大な光景のなかで、ひときわある苦悩の溜息と喘ぎを聞く思いがしないであろうか”“ポーの<川>はむしろ沼地であり、苦悩で慢性化した生命の川であり、それは現実には静脈の血を停滞させる苦悩である”(「精神分析と文化論」(マリー・ボナパルト)から「底なし沼の伝説」のp.238)

7 “ポオのグロテスクは心理の深みに根ざし、心理の曲折から起こる強度の悩み、苦しみを描いたところに特徴がある。”(p.240)は谷崎精二氏。また、“ロシアの作家ドストエフスキーは一八六一年「時代」誌上で・・・「ポオの作品は幻想的といわれるべきではなく、幻想的に見えるとしたら、それはただ外的だけでのことである。・・・彼は不合理な出来事の起こり得ることを述べているが、その可能性を論理的に証明し、しかも驚嘆すべき手腕を以ってそれを成し遂げる。”(p.250)(「エドガア・ポオ-人と作品」(谷崎精二;研究社)。なお、“緒言”には、“ポオに関する(十指に余る)研究書の中で最も問題を提起したのはフロイドの門弟マリイ・ボナパルト女史の「エドガア・アラン・ポオ-生涯と作品」であろう。私の解釈もこの書に負うところが多い。”(p.ⅲ)とある。

8 3冊とも名著。是非買って読んでいただけると有り難く思います。

9 “月冴ゆる秋の夜長に蟋蟀鳴いて ポー読む部屋の私を包む”

10月の赤石短歌会で発表した歌。「南信州」の10月か11月に掲載されたと思います。

ポーは解説書ばかりです。上の他に「告げ口心臓」「ポーとボードレール」など、さすがに10冊には足らないけど所有しています。作品は、大学時代に買った“Vintage books”のComplete editionと日夏先生の詩の翻訳のみ。これら4冊も。是非買って愉しんでください!

10 “The Raven”の“Once upon a midnight dreary,while I pondered,weak and weary,/Over many a quaint and curious volume of forgotten lore-”(Vintageのp.943)と二重写しした積もりも、先生には気付いて貰えませんでした。だったらと最後を“訪なふ”としたらどうか?その場合、普通には“月が”ではないのか?“蟋蟀が”では“グリム”なのでは?どっちにしろ懸念は残ります。そのレベルの歌。

Gedc1904

11 何時か、ポーの作品の幾つかを題材に、歌を詠めたらいですね。

12 降誕節第1木曜日福音朗読から。マタイによる第7章より。“「わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川がふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。」”(わたしの家は岩を土台としているだろうか。とこしえの岩、主キリストを。)

†主のお恵みが。

†主に讃美と感謝。

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